EDMはどんな音楽?ディスコミュージックからThe Chainsmokersまで、EDMの特徴や歴史を解説

EDMはどんな音楽?ディスコミュージックからThe Chainsmokersまで、EDMの特徴や歴史を解説

日本では、お台場でEDM(エレクトロニック・ダンス・ミュージック)の祭典「ULTRA JAPAN」が開催されるなど、EDMが人気を得ています。音楽を知らない人でも、今やEDMは日常で耳にする機会もあり馴染みのある音楽になってきました。

しかし、EDMの成り立ちを知っている人はあまりいません。そこで、この記事ではEDMの特徴や代表的なミュージシャン、またEDMというジャンルがどのように成り立ってきたかを解説します。

近年、エレクトロニック ダンス ミュージック (EDM) がメインストリーム メディアで大きな人気を得ています。

EDM は、ハウス、ドラムン ベース、ダブステップ、トラップ、ハードスタイルなどのサブジャンルのコレクションで構成されています。

このジャンルは 1980 年代からナイトクラブ シーンで休止状態にありましたが、近年 EDM の需要がコマーシャル ミュージックを席巻しています。 

EDMとは?

EDMは、「エレクトロニック・ダンス・ミュージック」の略であり、リスナーが音楽に合わせて踊るための音楽と定義することができます。

踊れるといっても名前にエレクトロニックとあるように、楽器の生演奏ではなく、ハウス ミュージック、ディスコミュージック、シンセポップ、テクノ、トランス ミュージック、ドラムンベース、ダブステップ、トラップなどのスタイルを指しています。

EDMの特徴

EDMの特徴としては、ラウドで無機質なサウンドと音色、リズミカルで常時129〜150BPMといったスピーディーなテンポが挙げられます。時には180BPMを超える早すぎる楽曲も存在します。

さらに決定的な特徴は、使用される音楽機器の種類です。

通常、ロック、ポップ、ジャズなどの他の音楽ジャンルでは、ギターやベース、ドラムといった伝統的な楽器を使用することが一般的です。

しかし、EDMではそれらの楽器は使用せず、サンプラー、シーケンサー、ベースラインジェネレーター、ドラムマシンなどの電子機器を使用しています。

さらに、EDMのトラックは、録音のサンプルから構成および構築されることも大きな特徴です。

現在では、DJ が音楽を作成するためのツールは進化しており、シンセサイザー用のプログラム、ビート マッチング、テンポ調整などの機能を搭載したPC用のソフトウェアDAW(Digital Audio Workstation)の利用が一般的になっています。

EDMの誕生

現代ではイケてる音楽の代名詞でもあるEDMはどうやって生まれ、どのように進化してきたのでしょうか。

1960年代:70年代以前の電子音楽

電子機器を使用して音楽を作った最初の事例としては、イギリス電子音楽の先駆者デリア・ダービーシャー(Delia Derbyshire)によるテレビドラマ「ドクター・フー」のテーマ曲などが挙げられます。

彼女は、おそらく最初のエレクトロニックミュージックを発表したミュージシャンであり、BBCの職員でした。

1970年代:ディスコの隆盛

70年代に入り、ディスコが誕生すると、クラブミュージックの最初のブームが訪れます。

ユーロダンスとしても知られるディスコミュージックは、ファンク、ソウル、スムース ジャズとエレクトロニックな要素を融合させた電子音楽のジャンル。

それらのディスコミュージックを流すDJがいるクラブが人気となり繁盛したことで、DJが常駐するクラブが定番になっていきます。

ジョルジオ・モロダーは、エレクトロニック サウンドとパーカッシブなビートの使用のパイオニアで、今日のEDMでも耳にする反復リズムやシンセサイザーをディスコミュージックに導入しました。

クラフトワークやドナ・サマーなどのアーティストは、Roland TR-808、TR-909、ドラム マシン、Roland TB-303、シンセサイザーを使用して、初期のエレクトロとハウスの原型を作りました。

1980年代:ハウス、テクノ、アシッドハウスの確立

80年代から 90年代にかけて、ハウス、インダストリアル、フリースタイル、テクノなどのサブジャンルが人気を博し始め、アシッド ハウスと初期のレイヴシーンがドイツとイギリスで流行します。

イギリスでは午前2 時にクラブが閉店してしまうため、徹夜で踊り明かせる倉庫でのパーティーの需要があったのです。

そのアンダーグラウンドなダンスパーティーが徐々に広がりを見せるようになり、1989年には、約10,000人が参加するほどまでに拡大しました。最終的にそれが「レイブ」と呼ばれるようになったのでした。

1990年代:ベルリンの壁崩壊とトランスミュージックのデビュー

ドイツ、特にベルリンの街は、1989年のベルリンの壁の解体後、EDMシーンが発展。前述のクラフトワークは、テクノへ最も影響力の高いバンドの1つでした。

東西の壁が崩れて再統一されたばかりのドイツでは、レイブやレネゲードパーティーが頻繁に行われるようになります。それまではレイブといえばイギリスでしたがドイツでもEDMが盛り上がりを見せるようになります。

1991年には、東ベルリンの銀行跡地ではじまったクラブTresorが設立されます。Tresorはジャーマンテクノの中心となり、世界中のDJやリスナーにとっての聖地になりました。

また、ドイツ、特にフランクフルトは、1980年代後半から1990 年代前半のトランス音楽の発祥の地でもあります。

1990年代を通じて、「レイブ」シーンは成長し、多くのナイトクラブでアンダーグラウンドなEDMが披露されていきます。

徐々にEDMは進化と分岐を続け、いつしかかつてないほどメインの音楽ジャンルになりました。

特にイギリスでは、 プロディジー、ケミカルブラザーズ、ゴールディー、ファットボーイ・スリムなどが現れます。これらのグループのEDMは「エレクトロニカ」としてアメリカにも上陸し、ポピュラー なジャンルとして定着していきます。

2000年代初頭:EDMがメインストリームへ

2000年代半ばまでに、ダンス ミュージックは大衆文化の一部になりました。

2000年代に台頭してきたYouTube や SoundCloud などのソーシャル メディアは、エレクトロ ハウスやダブステップをリスナーに広げる役目を果たし、「ブロ ステップ」と呼ばれるダブステップの派生ジャンルであるSkrillexを世の中に拡散しました。

EDM はライブイベントとも相性が良く、EDMのイベントが従来のミュージシャンよりも大きな利益を生み出すようになっていきます。

「Electric Daisy Carnival」や 「Defqon」 などのEDMフェスティバルは開催規模が大きくなり、ビデオや照明、レーザーなどの視覚体験がより強調されるようになっていきます。

Avicii やスウェディッシュ・ハウス・マフィアなどの主要なアクトは、単なるナイトクラブではなく、大きなアリーナでコンサートツアーを開催していくようになります。

EDMの世界的な人気から、2013年1月には「Billboard」でEDM、ダンス / エレクトロニック ソング チャートが導入されます。

特に、ダフトパンクは、2006 年から 2007 年のワールド ツアーでEDMを世界的に広めたともされています。

2000年代に突入し約10年でEDMを取り巻く環境は飛躍的に向上、ロサンゼルスは、その頃にはアメリカで最大のEDMシーンになっていました。

2010年代とEDMの現在

今日、EDM は、スティーブアオキ、ゼッド、チェーンスモーカーズなどの世界的に有名な DJが活躍、さらにEDM の要素は、ジャスティン・ビーバー、コールドプレイ、ケイティ・ペリー、TheFatRatなどのポップミュージシャンやメインストリームのミュージシャンに対しても大きな影響を与えています。

まとめ

元々は、1970年代のディスコミュージックがルーツにありながら、現在のEDMにはその影響が全く感じられないほどに進化と変化を遂げています。

ディスコやナイトクラブから倉庫でのアンダーグラウンドなレイブ、そしてスタジアムコンサートや大規模なフェスティバルへとEDMがプレイされる会場も拡大しました。

現在、EDMは300を超えるさまざまなジャンルがあるとされています。もし興味をもったなら先入観は捨て、まずは聴いてみることをおすすめします。

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