【隠れた名曲】90年代シティポップ音楽が特徴の名曲7選を紹介!

シティポップの特徴

2010年代後半から急速に流行っている音楽が「シティポップ」

今や海外でも人気が高く、音楽サブスクリプションサービス「Spotify」には1,000を超える「シティポップ」のセットリストが作られ、コロナが世界的に蔓延する前にはわざわざ日本にシティポップアーティストのレコードを買いにくる海外旅行客もいたほどです。

YouTubeにもシティポップを流しているチャンネルが増えましたよね。

「シティポップ」と一口にいっても明確な音楽ジャンルや定義があるわけではなく、1970年代、1980年代にリリースされた洗練されたポップスやAORの曲を総称して「シティポップ」と呼んでいます。

松原みきさんの「真夜中のドア」、泰葉さんの「フライデーチャイナタウン」や山下達郎さんや竹内まりやさんの当時の楽曲などが「シティポップ」として人気の様です。

70年代〜80年代の曲で語られることが多い「シティポップ」ですが、90年代にも上質なポップスはあります。この記事では、90年代「シティポップ」の隠れた名曲をご紹介します。

谷村有美/6月の雨(1990年)

何故「シティポップ」は70年代、80年代のアーティストや楽曲が多いのかといえば、景気が良かったからじゃないでしょうか。

社会的な景気の良さが「シティポップ」独特の高揚感のあるサウンドを醸成させていたのではないでしょうか

90年代に入るとロックやバンドブームが到来して、さらには小室哲哉さんプロデュースに代表されるようなJPOPやダンスミュージックが主流になったことも「シティポップ」が流行らなくなった要因かもしれません。

1990年にリリースされた谷村有美さんの「6月の雨」は「シティポップ」のセットリストでもよく見かける楽曲です。ホーンアレンジ、きらびやかなサウンドが洗練されています。当時の特徴なのか、録音やミックスの良さも心地よいシングルです

斉藤由貴/ホントのキモチ(1991年)

斉藤由貴さんといえば女優であり、歌手であり、作詞家であり、ナレーターであり、初代スケバン刑事でもあった方です。

有名なヒット曲は「卒業」、「情熱」、「悲しみよこんにちは」など80年代のイメージが強く残っているでしょう。

作詞:松本隆/作曲:筒美京平といった楽曲を日常的に歌っていたわけですが、90年代にも「シティポップ」的な名曲をリリースしています。

いわゆる「シティポップ」にありがちなホーンセクションやファンキーなカッティングなどはないものの、斎藤さんのどこか醒めた歌唱と、亀田誠治さんのベース、江口信夫さんのドラミングとの対比はポップスとして上質です。

70年代や80年代の都市部的なキラキラは90年代になると失われた時代として扱われていく様が曲として表現されたかのように感じてしまいます。 

GWINKO/MAIN STREET RHYTHM

GWINKOさんを覚えていますか?グウィンコではなくGWINKOで「ギンコ」と呼びます

GWINKOさんは、安室奈美恵さんやDA PUMPで有名な沖縄アクターズスクール出身、その一期生であり、出身第一号タレントなのです。

つまりはSPEEDや安室奈美恵さんの先輩筋に当たる方で、歌って踊れる本格的なシンガーです。

沖縄アクターズスクールの出世頭でその名を世の中に知らしめた人は安室奈美恵さんであり、90年代はJ-POPシーンに多彩な人材を輩出して存在感を示しました。

GWINKOさんもアクターズスクール出身性として1987年にデビュー、1990年に発表されたアルバム「I’M IN」に収録されている、「MAIN STREET RHYTHM」はシンセサイザーとビートを強調したダンサンブルなナンバーで、フレッシュにハネたボーカルで曲を歌いこなすGWINKOさんは、さながら女性版久保田利伸、和製ジャネットジャクソン的な佇まいです。

後の安室奈美恵さんやMAXのスタイルの先駆者としても、もっとリスペクトされてもいいのがGWINKOさんです

オリジナル・ラヴ/接吻 kiss(1993年)

1993年の日本テレビ系列ドラマ「大人のキス」の主題歌として制作されたシングル。

ドラマタイアップということもあり、サビから始まる楽曲はJ-POP的な構成ではあるものの、AOR的な雰囲気や、ホーンやストリングスが効いた楽曲はドラマのタイトル通りに大人の恋愛を彷彿とさせるものである。

都会的でアダルトなイメージは当時としても珍しく、今聴きなおしても哀愁を感じます。後に中島美嘉さんなど多くのアーティストにカバーされるのも納得の仕上がりです。

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笠原弘子/大切な休日(1994年)

笠原弘子さんは5歳から子役としてデビュー、中学2年生の時にアニメ『銀河漂流バイファム』で声優デビューを果たし、中学、高校では声優としても活動していた叩き上げの実力派。

そして90年代に入ると繊細なポップスは、バンドブームやJ-POPに追いやられてしまい徐々に影を潜めていきます。

しかし、声優のオリジナル楽曲などでは「シティポップ」的な華やかなシンセサイザー、ファンキーなアレンジが適応されていたのです。

笠原さんのこの「大切な休日」もそんな「シティポップ」的アレンジを施され、キラキラした都市部ではなく都市近郊に住むOLの等身大なライフスタイルを歌い上げるのでした。

森川美穂/POSITIVE(1991年)

森川美穂さんは元々はアイドルとしてデビューし、「ふしぎの海のナディア」の主題歌を歌っていたりとアニソンのイメージが強いヴォーカリストでした。

このシングル曲「POSITIVE」もアニメらんま1/2のエンディングテーマとして起用されていました。

普遍的なポップスから「シティポップ」まで、ポップスという音楽ジャンルではヴォーカリストの自己主張やエゴが強いと繊細な楽曲に仕上がらないという特徴があります。その点で森川美穂さんは非常に歌のうまい方であり、表現力に突出していました

ヴォーカリストとしての独りよがりさはなく、曲のゴージャスなメロディやアレンジを活かせるバランス感覚に富んでいました。

高野寛/ベステンダンク(1990年)

ベステンダンクとはドイツ語で「ありがとう」の意味。東西ドイツの壁が崩れたのが1990年。そんな世界の状況を楽曲で表現したのが、高野寛さんの「ベステンダンク」

90年代音楽シーンの特徴であったCMやドラマタイアップの恩恵をこの曲も受けることとなり、MIZUNOのスキーウェア「ケルビンサーモ2」CMソングに起用されスマッシュヒットとなりました。

高野さんの5枚目のシングルであり、前作から引き続きプロデューサーにはトッド・ラングレンを迎えて制作されました。

当初はギターポップらしい楽曲だったのを、トッドがアレンジを経て「シティポップ」としてもクオリティの高い楽曲に変貌を遂げています

まとめ

「シティポップ」は、日本が戦後の不況から脱して、きらびやかな都市部のライフスタイルへ傾倒していった時代の音楽です

そんな時期の日本の音楽が、現在では海外の若者の琴線を刺激しているのも非常に興味深いことです。どこかノスタルジックなビートは、世界中のリスナーの共感を呼んでいます。

そして90年代の「シティポップ」には70年代、80年代とは違い、等身大の若者を感じさせるより繊細なアプローチが感じられます。

「シティポップ」に興味を持った方は、70年代や80年代の楽曲と90年代「シティポップ」を比べてみるのも面白いですよ。

最近ですと「ジデン」という方が90年代が、90年代テイストの楽曲を制作していますので参考にどうぞ。

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