【洋楽好き必見!】90年代の洋楽ヒット曲8選紹介します!

90年代洋楽ヒット曲

1990年代に黄金期を迎えた音楽ジャンルは複数あります。HipHopもそんな音楽ジャンルの一つでした。1990年から1999年までの10年間が後の音楽シーンに与えた影響は計り知れません。

優れたラッパーやプロデューサーの出現、ヒット曲やヒットアルバムの発売。特に90年代初頭から中期にかけて発表された曲やアルバムには「クラシック」として現在でも人気の高いHipHopソングが量産された時代でもありました。

そして90年代中期から後半は有名ラッパーの2PAC とNOTORIOUS B.I.G.が銃撃により亡くなるなど、その影響は音楽シーンだけに留まらず世界的に波及するなど激動の時代でもあります。

今回はそんな90年代を代表するベストHipHopソングを紹介します。

Vanilla Ice / Ice Ice Baby 

Vanilla Ice(ヴァニラ・アイス)はテキサス州出身のミュージシャン、ラッパーで、現在は俳優としても有名です。

白人でありながらダンスとラップに長けていたのでVanilla Iceという名前で呼ばれるようになり、そのままデビュー。そんなVanilla Iceを一躍有名にしたのが1990年発表の「Ice Ice Baby」

「Ice Ice Baby」は、Queenとデヴィッド・ボウイが過去にコラボしたヒット曲「Under Pressure」のベース音をサンプリングした楽曲で、シングルは全米で700万枚を売り上げる大ヒット

翌1991年には映画「Cool as Ice」に出演&主演を果たし俳優デビュー。順風満帆にキャリアをスタートしたかのように見えたVanilla Iceでしたが、「Ice Ice Baby」で使用した「Under Pressure」のサンプリングが無断使用だったことで権利許から訴訟を起こされてしまいます。

最終的に「Ice Ice Baby」にはQueenとデヴィッド・ボウイのクレジットが入るようになりましたが、曰くつきのヒット曲として有名です。

ポップでフックにはキャッチーさがあり、つい口ずさんでしまうような名曲ですが、実際に「Ice Ice Baby」と「Under Pressure」を聴き比べると、楽曲のほとんどは「Under Pressure」と同じなので権利を持っている側からすれば心中穏やかではいられなかったでしょう。

House of Pain – Jump Around 

House of Painはアイルランド系アメリカ人によるメンバーで構成されたヒップホップグループ

結成は1990年で、「Jump Around」は1992年に発表したデビューアルバムからシングルカットされた楽曲です。プロデューサーはCypress HillのメンバーDJ Muggsが務めました。

ホーンのファンファーレで始まるイントロに、「JUMP! JUMP!」という威勢のいい掛け声のサビが特徴的でした。

トラックの質感も全体的に粗目でノリのいい楽曲ではあるけれど、決してポップではないという商業的に迎合しないHipHopの名曲です。

HipHopのファンだけでなくロックファンにも受け入れられたことで人気も爆発。アメリカだけではなく世界中での大ヒット曲になりました

全米チャートで3位、UKやカナダのチャートでも上位にランクインして最終的には100万枚以上売れたプラチナレコードとなりました。

Cypress Hill   HOW I COULD JUST KILL A MAN 

Cypress Hill はラテン系アメリカ人やイタリア系アメリカ人によってLAで結成されたHipHopグループです。

実際にストリートギャングに所属していた過去を持つメンバーもいて、ストリートでの支持を集めて人気を得た叩き上げのグループです。

現在までにアルバム、シングル合わせて2000万枚以上を売り上げ、90年代のHipHopとミクスチャーロックをリンクさせたグループでもあります。

そんな彼らが1991年にリリースしたアルバム「Cypress Hill」からのシングル「How I Could Just Kill a Man」は一番の人気曲で、現在でもHipHopクラシックとしても有名です。ロックバンド「Rage Against the Machine」もカバーしています。

独特のスモーキンなビートと、軋むような音と共に疾走する楽曲はギャングスタ色が強く、現在のPOPSの一部として確立されたラップとは一線を画します。

Coolio  Gangsta’s Paradise 

曲は、Stevie Wonderの「Pastime Paradise」をサンプリングして、歌詞はCoolio自身のギャングスタとしての葛藤や苦悩を歌ったシングルが「 Gangsta’s Paradise 」です。

Coolioはロサンゼルス州コンプトン出身のラッパーで、1995年の映画「デンジャラス・マインド」で「Gangsta’s Paradise」が使用されたことをきっかけに大ヒット

アメリカ以外でも、イギリス、アイルランド、フランス、ドイツ、イタリア、スウェーデン、オーストリア、オランダ、ノルウェー、スイス、オーストラリア、ニュージーランドのチャートで1位を記録、1995年の年間ビルボードシングルチャートでも1位を記録したモンスター級のヒット曲です。世界中での累計販売枚数は500万枚を突破しています

メロウな曲にCoolioの甘くセクシーな歌声がフィットした素敵な曲ですが、歌詞はCoolioが経験してきたストリートライフを歌っていて中々にシリアスな内容です。歌詞のハードな内容がより楽曲の良さを引き立ててくれます。

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Puff Daddy  “I’ll Be Missing You” (Feat. Faith Evans & 112)

1997年6月にリリースされたPuff Daddyのシングル「“I’ll Be Missing You” (Feat. Faith Evans & 112)」は、R&Bグループの112(ワントゥエルブ)とFaith Evans(フェイス・エヴァンス)をフィーチャリングしたラップバラードです。

この年に暗殺されたビギーことノトーリアス・B.I.G.の追悼歌で、ポリスの1983年の名曲 “Every Breath You Take” をサンプリングしたラップ・バラード。

同じく1997年に銃撃されて亡くなったChristopher “The Notorious B.I.G”を追悼する曲となっています。Faith Evansは “The Notorious B.I.G”の残された妻であり、コーラスが挿入されています。

「祈りを捧げるたびに、あなたが恋しくなる」と歌うFaith Evansに胸が締め付けられるような想いになります。

アメリカでは300万枚以上、ドイツとイギリスでは100万枚以上を売り上げ全世界では約800万枚を売り上げ、第40回グラミー賞で最優秀ラップ・パフォーマンス賞を受賞しました。

The Notorious B.I.G. Juicy  

「Juicy」は、Biggieのニックネームで愛されたNY出身のラッパーThe Notorious B.I.G.の1994年のデビューアルバム「Ready to Die」からのファーストシングル。

彼をスーパースターの地位に押し上げたとされる名曲で、昔ながらのHipHopビートとクラシカルでファンキーなベース ラインに乗って、Biggie自身の貧困の中で暮らした幼少期、ラッパーになる夢、音楽シーン、そして成りあがった末の贅沢なライフスタイルがラップされています。

東海岸のHipHopとギャングスタラップにルーツを持つ彼は、いつしか東海岸のHipHopシーンの中心人物となっていきますが、エスカレートする東海岸と西海岸のHipHopシーンの抗争に巻き込まれ、1997年銃撃によって殺害されてしまいます。享年24歳でした。

2Pac California Love 

2Pacは、NY出身のラッパー。幼少期はスラム街で育ち17歳でカリフォルニアへ。1991年にラッパーとしてデビューを果たします。俳優としても活動を始めており様々な業界から注目されるようになります。

そんな中、2Pacは1994年にレコーディングスタジオで銃撃事件に巻き込まれ頭部その他に5発の十段を被弾してしまいます

当時、事件現場の近くにはBiggieことThe Notorious B.I.G.の姿があったことから事件への関与を疑われ、この件が発端となりアメリカのHipHopシーンでは東海岸と西海岸の抗争が激化していきます。

その抗争とはまた別で、1995年には、ファンによる性的暴行疑惑によって2Pacは刑務所へと服役します。

「California Love 」は、1996年に2Pacが釈放後にリリースされたDr. Dre をフィーチャリングしたシングル曲です。ビルボードチャートで2週連続1位を記録しアメリカ以外でも、イタリア、ニュージーランド、スウェーデンでもチャート上位にランクインするなど2Pac史上最も成功した楽曲として知られています。

1996年も東海岸と西海岸の抗争は続いたままで、2Pacはラスベガスでマイク・タイソンの試合を観戦後に銃撃され、6日後にこの世を去りました。

2Pacは死してなお、HipHopシーンに影響を与えており、史上最も偉大なラッパーの 1 人と見なされています

Dr. Dre ft. Snoop Doggy Dogg – Nuthin’ But A G Thang

Dr. DreとSnoop Doggy Doggは90年代を代表するラッパーであり、アメリカ西海岸のHipHopシーンをけん引したことでも御馴染みです。

ラップグループN.W.A.で有名になったDr. Dreのソロデビュー作「The Chronic」は1990年代で最も影響のあるHipHopアルバムの1枚とも言われ、最高傑作の呼び声も高い名盤です。

「Nuthin’ But A G Thang」は「The Chronic」からのファーストシングルカットで、Snoop Doggy Doggがフィーチャリングされています。

ちなみにアルバム「The Chronic」は、米国議会図書館の「国家保存重要録音物登録簿(The National Recording Registry)」に登録されており、実際に歴史上重要な録音物としても扱われています。

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まとめ

70年代に産声を上げ、80年代には音楽ジャンルとして確固たるポジションを築いたHipHopでしたが、当時はまだまだアンダーグラウンドな域を出ていませんでした。

現在、HipHopは広く大衆に好まれる音楽であり、今やチャートの大半をHipHopやR&Bのアーティストが締めています

既にアメリカではロックを超える市場規模を持っているとも言われ、HipHopは多くの人に愛される音楽へと上り詰めました。

その足がかりとなったのが90年代のHipHopシーンだったといえるでしょう。HipHopの原点ともいえる90年代の名作や名曲をまた振り返ってみてはいかがでしょうか。

ジデン」という方が90年代テイストの楽曲を制作しており、懐かしい90年代音楽を知るきっかけになるとなると思うので参考までにどうぞ。

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