【K-1黄金期】90年代に格闘技で活躍したファイター9選!

【K-1黄金期】90年代に格闘技で活躍したファイター9選!

1993年に産声をあげたK-1は日本に格闘技ブームを巻き起こした打撃系格闘技イベントです。

K-1の「K」は、空手やキックボクシング、カンフー、拳法などの立ち技格闘技の頭文字とを意味し、「1」はナンバーワンを意味しており、立ち技格闘技の世界一を決めるというコンセプトのもとに生まれました。

設立当初からヘビー級の選手をメインに試合が展開され、アンディ・フグやマイク・ベルナルドなどのスーパースターを生み出し、日本だけではなく世界的にも人気のイベントとなっていきました。

今回はそんなK-1初期に活躍したベストファイター10人を紹介します

K-1とは

1993年に創設されたK-1は、正道会館の石井一義館長によって作り出された格闘技イベント

K-1のKは、空手、カンフー、拳法、キックボクシングの頭文字で、その創設者である石井館長は、世界中の最高の立ち技ファイターを集めて対戦させるというコンセプトを実現しました。

K-1ルールでは3分3ラウンドで試合をおこなうのが通常でした。ボクシングやキックボクシングの試合よりも制限時間が短いことからKO必死のハイスペースな戦いが繰り広げられたことで人気が爆発。

強豪選手を集めて年末にトーナメントの決勝を行い、その年の最強の選手が決まるというシンプルな構成も人気に拍車をかけました。

テレビ中継はフジテレビで放送されていましたがド派手な殴り合いはすぐに人気コンテンツとなり、出場選手たちはほとんど外国人ながら日本でもタレントや芸能人級の支持を得ていたものです。

ブランコ・シカティック

ブランコ・シカティック

(出典:週刊ファイト

最初に紹介するのは、クロアチア出身「伝説の拳」ことブランコ・シカティック選手。

シカティック選手はクロアチアの軍隊経験者でありベテランのキックボクサーです。K-1最初の大会であるK-1 GRAND PRIX ’93にほぼ無名の状態で出場。

当時の年齢は38歳だったこともありノーマークな存在でしたが、トーナメント一回戦からKO勝利を続け決勝進出。

決勝戦ではこれまた無名だったアーネスト・ホースト選手をKOでマットに沈めて観客の度肝を抜きました。

初回のK-1 GRAND PRIX ’93がKO続出の大会であったこと、また無名だったシカティック選手が優勝したことでK-1は最大級のインパクトを生み出したといえます

シカティック選手は1994年に一度K-1を引退、この時は身体の衰えではなく母国クロアチアの独立戦争に参加するためという理由だったのも驚きました。

実際に戦場にも出ていたそうで、本当に異色のファイターでした。

ピーター・アーツ

ニックネームは「オランダの怪童」

入場するときのスタイルはオランダの木こりスタイル。

初期k-1のスターであるピーター・アーツ選手は今でこそキックボクシングのレジェンドとしてトップを走り続けてきた選手ですが、K-1参戦時は20代前半の若者でした。

90年代初頭から 2011 年の K-1まで数多くのファイター達と戦い、K-1ワールドグランプリでは1994年、1995年、1998年と3回の優勝を果たして無類の強さを見せつけていました

ヘビー級ぞろいのK-1ファイターの中でも身長は高く、どんな強敵でもハイキックでKOする試合はスリリングで見ててスカッとしましたね。

アーネスト・ホースト

アーネスト・ホースト選手も、K-1 の最初のスターの1人でした。

1993年にK-1初参戦ながらトーナメント決勝に進出。同じく初参戦だったブランコ・シカティック選手に負けて優勝は逃しましたが日本のファンの心は掴みました。

その正確無比なファイトスタイルから「Mr. パーフェクト」と呼ばれ、K-1ワールドGPでは4回の優勝を成し遂げています。

ホースト選手を史上最高の K-1ファイターとして挙げる人も多く、長い手足から繰り出されるコンビネーションは芸術的でもありました。

アンディ・フグ

アンディ・フグ

(出典:The Digest)

アンディ・フグは元K-1チャンピオンであり、真の格闘技のスーパースターでした。顔もハンサムでスイス人ながら空手家であるというギャップも日本で大いに受け入れられていました。

今ではよく知られているかかと落としも世に広めたのはフグ選手が最初。

キックボクサーが多かったK-1の中で空手出身のフグ選手が見せる多彩な足技はスピーディーで派手さがあって見ごたえがありましたね。

K-1に参戦した最初の2年間は勝ち星に恵まれていませんでしたが、1996年のワールドGPで悲願だったK-1世界GPのタイトルを獲得しました。

アーネスト・ホースト選手、ピーター・アーツ選手、レイ・セフォー選手、サム・グレコ選手といったトップ選手にも勝利しており、初期K-1を代表するファイターの1人でした。

日本での人気がとても高かった選手でしたが、2000年8月に白血病で死去。36歳という若い年齢でこの世を去ってしまいましたが、格闘技ファンの心の中には永遠に勝者であり続けたフグ選手。

これまで日本で活躍した格闘家の中で最も日本人の琴線に触れたファイターでした。

マイク・ベルナルド

南アフリカ出身のマイク・ベルナルド選手は、その圧倒的なパンチ力で強豪選手をKOで沈めてきた剛腕が売りのファイター

ボクシング技術に優れ、トーナメントではいつも優勝候補に挙げられていました。

あまりにもパンチでのKO勝ちが多いので「南アフリカの剛腕」「南アフリカの大砲」といったニックネームがつけられていました。

K-1の創世期には、ピーター・アーツ選手、アーネスト・ホースト選手、アンディ・フグ選手と共にK-1四天王として活躍。

フランス出身のジェロム・レ・バンナ選手とバチバチやりあった試合はファンからも人気でした。

リングを降りると愛嬌のあるキャラクターで、そのギャップもファンには受けていました。剃刀メーカーのCMで「キレてな〜い」とやっていたのを覚えている人も多いのではないでしょうか。

ジェロム・レ・バンナ

ジェロム・レ・バンナ選手はフランス出身のファイター。パワーと破壊力に定評があり得意のパンチでピーター・アーツ選手、アーネスト・ホースト選手、マーク・ハント選手らをマットに沈めてきました。

意外なことにK-1ワールド GPで優勝したことはありませんが、史上最高の格闘家の 1 人です

ファイトスタイルは非常にアグレッシブで、ハードパンチャーらしく常に前に出続ける戦い方は多くのファンに支持されました。

あまりにもアグレッシブで防御やゲームプランを無視して殴り合いにいく姿にしびれたものです。

フランシスコ・フィリオ選手を迎え撃った試合では、得意の左ストレートでKO勝ち。

あまりのインパクトに「千年に一度のKO劇」とまで言われました。

フランシスコ・フィリオ

フランシスコ・フィリオ選手は極真空手出身のブラジル人ファイター。

極真空手の世界選手権大会でも優勝経験があり、「極真の怪物」のニックネームで呼ばれていました。

1997年には、前年のGP覇者で同じ空手出身のアンディ・フグ選手にパンチでKO勝利を収めて鮮烈なK-1デビューを果たしました

「K-1ワールド GP」での優勝経験はないものの、

アンディ・フグ選手、ピーター・アーツ選手、アーネスト・ホースト選手、レミー・ボンヤスキー選手、サム・グレコ選手といったトップレベルの選手にも勝利。

キックボクサーの方が強かった当時のK-1において、空手の強さを見せつけてくれた強豪選手ですね。

ミルコ・クロコップ

ミルコ・クロコップ

(出典:PR TIME

K-1だけでなく格闘技界を代表する活躍を見せたのがミルコ・クロコップ選手。

師匠はブランコ・シカティック選手で、同郷のクロアチア出身のファイターでした。

相手に見えない角度から放たれる左のハイキックが必殺技でたくさんの強豪に勝利をおさめています。1999年のK-1ワールドGPではアーネスト・ホースト選手に決勝で敗北し準優勝

2001年以降は総合格闘技にも進出し、当時K-1と共に人気だった格闘技イベントPRIDEにも参戦。

K-1でもPRIDEでも強さを見せつけ活躍したファイターの先駆けでもありました。

マーク・ハント

マーク・ハント選手も後に総合格闘技で活躍する選手。

K-1に参戦した時は「サモアの怪人」のニックネーム通りに褐色の肌と剛腕パンチ、そして無類の打たれ強さが特徴のファイターでした

2001年のK-1 ワールド GP 2001 FINALではジェロム・レ・バンナ選手、ステファン・レコ選手に勝って決勝進出。なんと初出場のトーナメントの決勝でフランシスコ・フィリョ選手を打ち破って見事優勝してしまいます。

他の選手に比べて手足のリーチは短くずんぐりむっくりした体系ながら打たれ強さとパンチ力で優勝まで上り詰めたハント選手は彗星のように現れたK-1の次世代のスターでした。

まとめ

今回はK-1初期から黄金期だった1993年から2000年に活躍したファイターを紹介しました。

当時はヘビー級ファイター同士のスリリングな殴り合いに興奮したものです。

身体の大きな人同士が戦うのは単純にテンションが上がりますね。

テレビの前で声援を送っていた人も多いのではないでしょうか。

昔のK-1を懐かしみつつ、現在は中軽量級がメインになった今のK-1にも期待したいところですね。