ロックファン必見!90年代邦楽ロックの名曲をドドンと紹介!次のバンドはこのバンドだい!

90年代ロック

現在でもロックバンドは人気が高くフェスやイベントでも存在感を発揮しています。

ロックバンド自体は昔からありますがブームになったのは90年代の初め頃。バンドブームがあったことで90年代は様々なロックバンドが百花繚乱!音楽シーンに躍り出た時代でした。

90年代のロックバンドには今でも愛されるグループや名曲がたくさんあります。今回はそんな90年代を代表するバンドの名曲を紹介します。

世界の終わり/THEE MICHELLE GUN ELEPHANT

THEE MICHELLE GUN ELEPHANTは1996年に日本コロムビアからメジャーデビュー。

「世界の終わり」はメジャー初のシングルであり、2003年に行われた幕張メッセでのTHEE MICHELLE GUN ELEPHANTラストライブの最後に演奏された曲でもあります。

「世界の終わり」は、今でもファンの間で語り草になっている曲です。

MICHELLE GUN ELEPHANTラストライブの最後の最後に演奏された「世界の終わり」では、今は故人となってしまったアベフトシさんのギターの弦が演奏中に切れるというハプニングが起こります。

ギターの4弦が切れてしまいますが、いつものようにアベさんは虚空を見つめながら演奏を続け、ライブを見た人に忘れられない存在感を与えます。

廃ビルが解体されて徐々に崩れていく様に、THEE MICHELLE GUN ELEPHANTも「世界の終わり」で感動と喪失感でグチャグチャになりながら終焉を迎えたのでした。

この曲自体もバンドの代表曲として素晴らしいですが、ラストライブにおける「世界の終わり」は鬼気迫るテンションでCD音源を聴くのとはまた違った素晴らしさがあります。

JAM / THE YELLOW MONKEY

イエモンの愛称で親しまれたTHE YELLOW MONKEYの、1996年2月にリリースされた9枚目のシングルが「JAM」

日常に潜む不条理に対して怒りや虚しさを露わにした歌詞と、美しいメロディーと壮大なアレンジで構成された楽曲は、聴く人に大きなインパクトを与えました。

イエモンといえば「JAM」という方も多いはず。

グラムロックをベースとしたエッジーな佇まい、メッセージ性のある歌詞世界、そこに大衆性をしっかりと纏っていたことがTHE YELLOW MONKEYが人気だった理由かもしれません。

バンドは2001年に一度活動休止をした後に2004年に解散、そして2016年に再結成を経て現在も活動中です。

バンザイ~好きでよかった/ウルフルズ

ウルフルズの良さは何といってもノリの良い曲調に、ストレートに喜怒哀楽をぶつけてくるソウルフルなボーカルと歌詞!

コテコテの大阪弁だから、余計に感情が伝わってくるかのようです。ウルフルズなら暑苦しいくらいがちょうどいい!そんな感じではないでしょうか。

アルバム『バンザイ』のタイトル曲で、1996年2月にリリースされたこの曲もウルフルズらしい一曲に仕上がっています。

人を好きになることを愚直なまでにストレートに歌ったこの曲は、前作の「ガッツだぜ!!」同様にオリコンチャートでも好調、子供から大人まで世代を超えて愛されて50万枚以上のセールスとなりました。

紅/X JAPAN

ビジュアル系だけでなく、今や日本を代表するバンドであり世界でも人気の高いX JAPAN。80年代後期にバンド活動を始めるや、あっという間に日本のトップシーンにまで上り詰めてしまいます。

当時はビジュアル系と呼ばれるメイクと逆立てられたヘアースタイルはまだお茶の間には免疫がなく、X JAPANやBUCK-TICKなどのビジュアル系が登場した時は世間に衝撃を与えたものです。

「紅」は1989年9月にリリースされたメジャー第1弾シングルで、アルバム『BLUE BLOOD』の収録曲で、バラード調でクラシカルなイントロで厳かに始まり、一転してヘヴィメタル的なサウンドが始まる構成は日本の音楽シーンでは珍しいものでした。

激しいツーバスのドラミング、ツインギター、ハイトーンのボーカルは迫力があり、ビジュアルとの相乗効果もあり、非現実的なインパクトを与えてくれたものです。

誘惑/GLAY

情熱的でセクシーな歌声にハードなサウンドと、GLAYらしさ満載の楽曲「誘惑」は、1998年にリリースされたシングル。同じくシングルの「SOUL LOVE」と同時発売だったのも大きな話題となりました。

曲は普遍的なハードロックサウンドにキャッチーなメロディの組み合わせで、古臭さを感じさせることはなく、今聴いてもテンションが上がります。

GLAYは現在も精力的に活動中で2019年頃はホール中心にコンサートツアーを行うなど、今では日本の音楽シーンにおいてトップポジションに位置しています。

日本の音楽史上においても3枚目のアルバム「REVIEW~BEST OF GLAY 」が歴代CDアルバム売上3位という記録を持ち、様々な功績を世に残しているバンドなのです。

今宵の月のように/エレファントカシマシ

フジテレビ系のドラマ「月の輝く夜だから」の主題歌としてリリースされたシングルが「今宵の月のように」

エレファントカシマシにとって初のドラマとのタイアップ曲であり、ドラマの内容に合わせた楽曲をプロデューサーから依頼されて書き下ろした作品です。

バンドサウンドと歌モノを明確に再構築したこのシングルはエレファントカシマシ最大のヒットとなり、オリコンチャートにも初めてトップ10入りを果たすなど、それまでエレファントカシマシを知らない人にも認知させたバンドの出世作でもあります。

2017年の第68回NHK紅白歌合戦に初出場した際に披露したのも「今宵の月のように」で、リリースから10年以上経ってもバンドの代表曲として人気は色褪せていません。

透明少女/NUMBER GIRL

ピクシーズやソニックユースなどのアメリカのオルタナティブロックに影響を受けた90年代を代表する邦楽ロックバンド、それがNUMBER GIRL。

バンドは90年代後半~2000年代初頭に精力的に活動し、特にライブハウスを中心にオーディエンスを魅了していました。

メジャーデビューが1999年ということもあり、印象としては2000年の方が強いかもしれません。

「透明少女」はそのメジャーデビュー時にリリースされた楽曲で、USオルタナティブやギターロックを彷彿させる轟音ギターに、ボーカルギターの向井秀徳による文学的な歌詞が相俟って突然変異的で唯一無二の邦楽ロックを奏でています。

当初は所属する東芝EMIのスタジオでレコーディングしましたが、出来上がった音が「メジャーっぽい」と彼らの地元福岡のスタジオでレコーディングし直したエピソードがあるくらいに、当時のNUMBER GIRLは生の音にこだわっていたのです。

丸の内サディスティック/椎名林檎

1998年に「幸福論」でメジャーデビューした椎名林檎は、当時のサブカルチャーに傾倒していた女子を魅了していました。

「歌舞伎町の女王」を筆頭に、銀座、後楽園、池袋、お茶の水など東京都内の地名が付けられた曲名や歌詞世界、ピアノがフューチャーされたロックサウンドは当時の邦楽シーンにおいても異彩を放っており衝撃的でした。

「丸の内サディスティック」はアルバム「無罪モラトリアム」に収録された楽曲で、椎名林檎が実際に福岡から上京してきた際に東京という街に感じた想いが綴られています。

HONEY L’Arc~en~Ciel

「HONEY」は1998年7月にリリースされたL’Arc〜en〜Ciel通算10枚目のシングル。L’Arc〜en〜Cielの発表されたシングルの中では一番売上枚数が多かった曲でもあります。

「花葬」「浸食 〜lose control〜」と「HONEY」での3作同時でリリースされたことも当時は話題になりました。

シンプルでポップなメロディが印象深いこの曲は、必要最小限の音数で創られているのが大きな特徴です。疾走感のあるロックナンバーで、メンバーも意外と気に入ってる一曲だとか。

ラブソングでありながら、ストレートな「好き」や「愛してる」といった単語を使わずに描かれた歌詞は曲の世界観に奥行きを与え、だからこそ愛を表現しているといえるでしょう。

L’Arc〜en〜Cielは1998年の『第49回NHK紅白歌合戦』に初出場した際も「HONEY」を披露しており、バンドにとってもファンにとっても大切な曲になっています。

名もなき詩/Mr.Children

1995年にリリースされた前作のシングル「シーソーゲーム〜勇敢な恋の歌〜」が売上枚数181万枚を超えるなど、1992年にメジャーデビューしたMr.Childrenはこの頃既にトップ級のバンドとしての影響力を身につけていました。

「シーソーゲーム〜勇敢な恋の歌〜」から半年後にリリースされた「名もなき詩」は累計枚数が230万枚以上を突破し、更にバンドのステータスは上昇していきます。

特に1994年から1996年頃のMr.Childrenは、彗星の様にシーンに登場したかと思いきや、いつの間にかトップシーンに当たり前の顔をして君臨していた、そんなイメージのバンドでした。

90年代中期には震災や大きな事件事故が頻繁に起こっていたことで社会も不安な様相を呈していました。

世の中に対して漠然とした不安を抱えていた当時の若者が、ピュアで内省的な歌詞を歌う桜井和寿に共感したこともバンドをメジャーシーンに押し上げた一因かもしれません。

Mr.Childrenのシングルでは珍しくMVが制作されていない楽曲でもあります。

ズルい女 /シャ乱Q

シャ乱Qの名前を全国区に押し上げてくれたのが、1995年にリリースされたこの「ズルい女」です。

 イントロのセクシーなサックスの音色が特徴的で、高嶺の花ともいえる女性に恋心を抱くけど脈はないという男性なら思わず共感してしまう歌詞もインパクトがありました。

バンドの出世作でもある前作「シングルベッド」に続いてミリオンヒットとなった今作は145万枚を売り上げ、シャ乱Qをメジャーな存在に導いてくれました。

バンドは順風満帆のようでしたがメンバーの不祥事などもあり2000年に一度活動休止に。

ボーカルのつんく♂さんは、以前からテレビ東京のオーディション番組「ASAYAN」にてプロデュース活動をしていたことからモーニング娘やハロープロジェクトのプロデューサーとしても頭角を現していくこととなります。

ヒゲとボイン/ユニコーン

80年代中期から90年代に起きたバンドブームの中心的存在だったユニコーン。メンバー全員が作詞・作曲、演奏が出来るバンドとしても有名でした。

「ヒゲとボイン」は1991年10月にリリースされたシングル。コミカルでユーモアな歌詞と、明るくポップでシンセサイザーが特徴的な楽曲の組み合わせはユニコーンらしさに溢れていますね。

曲名は、小島功の漫画「ヒゲとボイン」からで、「大迷惑」や「働く男」と同じ様にサラリーマンである主人公の悲哀が歌われており、ヒゲは権威的な象徴として海外帰りの上司、ボインは主人公の同僚であり彼女を表しています。

陽はまたのぼりくりかえす/Dragon Ash

90年代に海外で流行して日本にも輸入されたミクスチャーサウンドは、オルタナティブ、パンク、ヒップホップ、レゲエといった音楽ジャンルを文字通りミックスしたのが特徴です。

日本においてミクスチャーロックの代表的なバンドといえばDragon Ashが有名ですね。

1998年にリリースされた「陽はまたのぼりくりかえす」はDragon Ashにとって2枚目のシングルで、アコースティックギターの繊細な調べとサンプリングやスクラッチ、ディストーションといったヒップホップやパンク的なサウンドとの融合が革新的でした。

90年代後期に一躍ロックアイコンとしてバンドシーンの最先端に躍り出た若きDragon Ashは、リアルなストリートミュージックを奏でながらも大衆性をしっかりと保持することで、時代を代表するバンドに成長していきます。

このシングルがリリースされた当時、ボーカルのKjさんは若干19歳!多彩な音楽ジャンルは多様性となり、ロックキッズのハートを掴んでいくのでした。

LOVE PHANTOM/B’z

日本の90年代ロックシーンを代表するグループといえばB’zを挙げる人も多いでしょう。

令和になった今でもサマーソニックのメインステージに立つなど第一線で活躍するB’zは、全てのCDの売上が8000万枚を超えているという実績もあり、印象だけではなく数字の面でも日本を代表するアーティストなのです。

「LOVE PHANTOM」は1998年にリリースされた彼らの通算18枚目のシングルで、人気ドラマ「X-ファイル」の主題歌としても有名。累計で186万枚を売り上げた90年代のB’zを代表するヒット曲です。

シングルカットされる曲としてはイントロが長くてタメが効いているので、サビとAメロを繰り返す構成に疾走感とカタルシスを感じてしまいます。

START/JUN SKY WALKER(S) 

ファンの間ではジュンスカの相性で御馴染みのJUN SKY WALKER(S) は、1980年から活動を開始した老舗の邦楽ロックバンド。

先に紹介したユニコーンやHE BLUE HEARTSと並んで80年代後期から90年代のバンドブームを牽引しました。

1991年1月にリリースされたシングル「START」は、今でもファンに愛される名曲です。

メジャーデビュー後の4枚目に発表されたシングルで、リリース時もオリコンのウィークリーランキングで1位になるなどバンド史上最も売れたシングルでもあります。

恋人との関係をスタートさせるというピュアでストレートな歌詞は、恋愛だけではなく新しく何かをスタートさせる人への応援歌としても捉えられました。

情熱の薔薇/THE BLUE HEARTS

JUN SKY WALKER(S)やユニコーンなどと並んで80年代から90年代にかけて人気だったTHE BLUE HEARTS。

THE BLUE HEARTSは「リンダリンダ」「TRAIN TRAIN」など多くのヒット曲を世に生み出し多くのファンに愛されていました。バンドが解散した後も色んなバンドやミュージシャンにカバーされ続け、彼らの曲が起用されたCMも後を絶ちません。

「情熱の薔薇」も多くの音楽ファンに愛されているTHE BLUE HEARTSの楽曲で、1990年にTBSドラマ「はいすくーる落書2」の主題歌として起用。

ドラマのタイアップ曲としてリリースされました。斉藤由貴さん、萩原聖人さんらが出演するドラマの内容とも上手くマッチしておりオリコンのシングルチャートでも1位を獲りました。

イントロの後に駆け出すようにテンポアップするキャッチーな楽曲、そして曲の終盤にしかサビが来ない構成やアレンジが独特で話題にもなりました。

少年/黒夢

「少年」は1997年にリリースされた黒夢としては11枚目のシングルで、ダイハツの自動車「MOVE aerodown CUSTOM」のCMソングでもありました。

黒夢解散後も清春さんのソロライブでも歌われていることもあり、黒夢だけではなく清春さんを代表する曲でもあります。

パンクに傾倒していたこともあり、社会に対する犯行と嫌悪感が歌われています。ギターソロから始まって徐々にアッパーになる楽曲の構成と、メッセージ性もありながらキャッチーさを失わないバランス感覚が見事な一曲です。

浪漫飛行/米米CLUB

80年代から精力的に活動していた米米CLUBの90年代に入っての本格的なヒット曲

ヒットの要因はJAL沖縄旅行「JAL STORY 夏離宮キャンペーン」のCMタイアップで、「浪漫飛行」は累計売上枚数170万枚を達成しました。当時はみんなが知っている、みんながカラオケで歌っているような文字通りの国民的大ヒット曲です。

苦しさを乗り越え願いを叶える、1人じゃなくて仲間がいるといったポジティブさと、トランク一つで旅にでるイメージが多くの人の共感を呼びました。

旅行と親和性の高い歌詞は、ボーカルのカールスモーキー石井さんが旅行会社とのタイアップを願って書いたからという裏話も興味深いですね。

イントロを聴くだけで90年代当時の事を思い出すことができる、そんな時代を代表する一曲です。

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まとめ

現在でも音楽シーンを賑わす邦楽ロックやバンドサウンドは、80年代後半から始まったインディーズブームやバンドブームがベースになっており、今でも愛されるバンドや名曲がたくさんあります。

90年代を懐かしく想うアラフォーやアラフィフの方も、世代ではないけど純粋に90年代のロックが好きな若い人も、今回紹介した曲やアーティスト以外の曲を探してみるのも楽しいものですよ。

最近ですと90年代をテーマとした楽曲が増えてきており、「ジデン」という方が90年代音楽テイストの楽曲を制作して公開しているので90年代音楽の参考にしてみるのもいいかもしれないですね。

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