現在でもみなさんが当たり前のように楽しんでいるカラオケは1970年代初頭にはカセットテープを利用したスタイルでできあがっていたそうです。
カラオケが流行りだしたのは1980年代中盤のバブル時期。
レーザーディスクを利用したことで画面に映像が出るスタイルに進化、またリモコンを使用するのも1980年代初頭から中盤にかけての出来事。
それまではスナックやバーにしかなかったカラオケが、専用のカラオケボックスで歌を歌えるようになったのも1985年のことでした。
さらに1990年代に入ってからのトレンディドラマの大ヒット、JPOPの盛り上がりが後押ししたことでカラオケという文化がさらに一般的になっていきます。
1990年代は日本の音楽業界を大きく盛り上げ、ミリオンヒットを連発した時代でしたが、それにはカラオケの普及も影響していたと思います。
今回は、1990年代にカラオケで人気だった曲を振り返って、当時の社会や音楽シーンを振り返ってみたいと思います。
目次
- 浪漫飛行 / 米米CLUB(1990年)
- I LOVE YOU / 尾崎豊(1991年)
- 世界中の誰よりきっと / 中山美穂&WANDS(1992年)
- 真夏の夜の夢 / 松任谷由実(1993年)
- Tomorrow never knows / Mr.Children(1994年)
- Over Drive / JUDY AND MARY(1995年)
- I’m proud 華原朋美(1996年)
- CAN YOU CELEBRATE? / 安室奈美恵(1997年)
- Time goes by / Every Little Thing(1998年)
- Automatic/time will tell / 宇多田ヒカル(1999年)
- まとめ
浪漫飛行 / 米米CLUB(1990年)
1980年代から音楽ファンには人気だった米米CLUBが、さらに有名になったのはJAL沖縄旅行「JAL STORY 夏離宮キャンペーン」のCMで起用されたことがきっかけ。
そのCMに起用されていた「浪漫飛行」は累計売上170万枚を超えるミリオンヒットとなりカラオケでも多くの人が歌う人気曲に。旅を連想させる歌詞もワクワクする気持ちにさせてくれました。
「浪漫飛行」が流行った1990年当時は、礼宮文仁親王と川嶋紀子さんが結婚して紀子さまブームが起きたり、ちびまる子ちゃんのテレビアニメが放送開始された年でした。
明るい話題に世の中は沸きましたが、バブル経済で膨れ上がった土地の価格はピークとなり、その後に下落。バブル経済最後の年でもありました。
I LOVE YOU / 尾崎豊(1991年)
バブル経済は終わりを告げ、海外で湾岸戦争が勃発した1991年、1965年生まれの尾崎豊さんはまだ25歳でした。
尾崎さんは前年の1990年12月にそれまで在籍していた事務所を退所、その後独立へと動きます。
「I LOVE YOU」は1983年に発表された1枚目のアルバム「十七歳の地図」に収録されていましたが、1991年にリカットされてシングルとして発売されました。
ピアノ演奏による切ないバラードはオリコン初登場で5位、売上枚数48.4万枚を超え、生前の尾崎豊のリリースした最後のシングル曲であり一番売れた曲となりました。
世界中の誰よりきっと / 中山美穂&WANDS(1992年)
1992年に入ると4月に尾崎豊さんが謎の急死を遂げ悲報が全国を駆け巡りました。
前向きな話題としては第25回バルセロナ五輪が開幕、当時中学2年生の岩崎恭子さんが女子水泳平泳ぎ200mで金メダルを、有森裕子さんがマラソンで銀メダルを獲ったことが話題に。
女優の中山美穂さんとWANDSのコラボによるシングル「世界中の誰よりきっと」もリリースされたのは1992年で、中山さん主演のフジテレビ系列ドラマ「誰かが彼女を愛してる」で主題歌に起用されたことで大ヒットに。累計売上は200万枚越えのダブルミリオンを記録。
発売されたのが1992年の10月だったので翌年の1993年もチャートにはランクインしており、2年に渡るロングヒットとなりました。勿論カラオケでも人気で沢山の人にうたわれています。
1992年の大みそかにはこの曲で「第43回NHK紅白歌合戦」にも出演しており、当時の人気ぶりがうかがえます。
真夏の夜の夢 / 松任谷由実(1993年)
1993年の大きなトピックスとしてはなんといってもJリーグの開幕があります。
これにより日本でもサッカー人気が盛り上がり、同年にはワールドカップもあったことでアジア最終予選の通称「ドーハの悲劇」は平均視聴率48%という高アベレージを記録するなど日本ではサッカーに注目が集まった年でした。
松任谷由実さんの「真夏の世の夢」は、TBS系列のサスペンス恋愛ドラマ「誰にも言えない」主題歌にも起用。
ユーミンには珍しいラテン調でミステリアスなナンバーで、歌詞も情熱的でカラオケでも盛り上がるナンバーです。アモーレって単語をこの曲で初めて知った人も多いのではないでしょうか。
Tomorrow never knows / Mr.Children(1994年)
1990年代も中盤になると長野県・松本市の住宅地にサリンガスがまかれた「松本サリン事件」など不穏な事件も勃発。バブル景気の後退から社会の不安定さが目立つようになっていきました。
そんな1994年のヒットナンバーとしてカラオケでも人気だったのは、Mr.Childrenの「Tomorrow never knows」、すでに人気バンドになっていたミスチルの6枚目のシングルでフジテレビ系列ドラマ「若者のすべて」の主題歌。
最終的な売り上げは約276.6万枚を記録するなど大ヒットとなりました。ミスチルの前向きで繊細な歌詞や楽曲は、世の中の事件や事故に対する漠然とした不安に対する癒しや解消としても受け取られていたのかもしれません。
Over Drive / JUDY AND MARY(1995年)
1995年は日本にとって歴史的な1年となります。1月に死者6,432人を出した阪神・淡路大震災の発生、3月にオウム真理教による地下鉄サリン事件といった天災と大事件が勃発し、人々の不安もピークへ。
そんな中、JPOPや音楽では癒しや応援歌などが人気に。人々の不安を解消して勇気づけるような音楽が支持を集めます。
「Over Drive」はJUDY AND MARYの7枚目のシングルで、バンド史上初のオリコントップ10入りをした記念すべきシングルで67万枚を記録しています。ジャケットやMVの衣装も夏らしく、サビの疾走感もドライブ感があって爽やかなナンバーです。
I’m proud 華原朋美(1996年)
1996年には「SMAP×SMAP」や「うたばん」、「めちゃ×2イケてるッ!」などがスタートし、テレビ業界にはまだまだ勢いがありました。安室奈美恵さんの人気も絶好調で全国にアムラーが大量発生。
そして安室さんと同様に人気だったのが歌手の華原朋美さん、この年に発売された「I’m proud」はミリオンヒットを記録しオリコンの年間シングルチャートとカラオケランキングでも1位を獲得しました。
1996年はJPOP全盛の時代で小室哲哉さんプロデュースの楽曲が百花繚乱咲き乱れている時代。それまでは洋楽的なエッセンスが突出していた楽曲に対して徐々に歌詞を意識していた頃だったので、リスナーにより響いたことがカラオケでの人気にもつながったのかもしれません。
ちなみに「proud」のあとに「of~」と目的格がつかなければ文法として成り立たないという裏話もあるようです。
CAN YOU CELEBRATE? / 安室奈美恵(1997年)
1990年代には様々なディーバ(歌姫)が誕生しましたが、安室奈美恵さんは90年代、平成を代表するディーバの1人ですね。
不況に関する話題も顕著になる一方で、映画「タイタニック」が世界的なヒットとなるように恋愛や癒しがテーマなコンテンツの人気が高まったいった1997年、安室奈美恵さんがリリースした「」は222.8万枚を売り上げ、1997年度年間シングルチャートで1位を記録。
この年に安室奈美恵さんはTRFのダンサー・SAMさんとの結婚を発表し、日本中がお祝いムード一色でした。
安室さんが発表したシングルの中では初のバラードでありこの年のカラオケランキングでも1位になりました。多くの女性にカラオケで歌われ、今では結婚式の定番ソングにもなっています。
Time goes by / Every Little Thing(1998年)
そろそろ1990年代の終わりも見えてきた1998年、完全失業率が4%台に乗り、多くの失業者が出た一方で、社会はサッカー日本代表のワールドカップ初出場や第18回冬季長野オリンピックでのメダルラッシュに沸いていました。
そんな中、Every Little Thing(ELT)の8枚目のシングルにして最大のヒットとなったナンバーがミリオンヒットを記録。カラオケでも人気曲として人々に歌われることに。
ELT初のバラード曲のシングルで、年末の紅白歌合戦にもこの曲で出演。冒頭の「wow wow wow…」に感情を込めて歌うのがカラオケで上手く歌う秘訣ともされています。
Automatic/time will tell / 宇多田ヒカル(1999年)
2000年を目前に控えた1999年、世界的なトピックスとしては世界の総人口が60億人を突破したことが挙げられます。また日本では石原慎太郎さんが東京都知事になったことが印象的でした。
ノストラダムスの大予言や2000年問題に揺れた年でもありました。
音楽業界として大きな出来事といえば、前年の1998年12月に「Automatic/time will tell」でデビューした宇多田ヒカルさんの人気ぶりではなかったではないでしょうか。
1stアルバム「First Love」は累計売上枚数767.2万枚を超え(オリコン調べ)、それまでの日本国内の歴代アルバムセールス1位の記録を塗り替えることになりました。
前年に彗星のように現れ日本の音楽史にとっても重要人物となった宇多田さんの印象が強かった一年でした。
まとめ
現在でもカラオケは進化しながら多くの人々に愛されている文化です。
1990年代はJPOPの流行、CDの普及、トレンディドラマによるミリオンヒットと音楽が一番元気な時代でした。
カラオケの人気を一般的にしたのも1990年代、子供からお年寄りまで皆が元気よく歌を歌っていました。
90年代、あの日、あの頃聴いていた音楽をカラオケで久々に歌ってみるのも楽しいかもしれませんよ。
最近ですと「ジデン」という方が90年代テイストの楽曲を制作しています。参考までに聴いてみるのもいいかもしれません。