【90年代】ファンを魅了したスポーツ選手!伝説の海外アスリート10選

【90年代】ファンを魅了したスポーツ選手!伝説の海外アスリート10選

1990年代は、誰しもが応援したくなるようなアスリートやプロスポーツ選手がたくさん排出された年でした。

90年代にキャリアの頂点を極め、今ではレジェンドとしてリスペクトされているスポーツ選手も多くいます。

今回は、そんなたくさんのアスリートの中から、90年代の子供たちが憧れた10人のアスリートを紹介します。

タイガー・ウッズ(プロゴルファー)

1996年にデビューしたプロデビューを果たしたタイガー・ウッズはまさしくレジェンド級のプロゴルファー。

歴代2位のメジャー選手権優勝は15回、史上2人目のトリプルグランドスラムを達成、生涯獲得賞金数は1億ドルを突破と伝説と呼ぶに相応しいゴルファーです。

タイガー・ウッズのスウィングは「神のスウィング」とも称され、それまでのゴルフのプレースタイル自体を変えていくこととなります。

クラブ重視で語られてきたスウィング理論に身体とクラブ双方の動きを高めていくことで、圧倒的な飛距離を実現。数多くの記録と伝説を作りあげました。

デヴィッド・ベッカム(サッカー)

デヴィッド・ベッカムは1993年からマンチェスター・ユナイテッドに所属し、チームの計6回のプレミアムリーグ優勝に大きく貢献。

2003年までマンチェスター・ユナイテッド一筋にプレーしていましたが、その後はレアルマドリードやACミランにも移籍。個人でも様々な記録を持ち、38歳で現役を引退しました。

1990年代のベッカムはまだ20代と若さに溢れ、偉大なサッカー選手としてだけでなく、ファッションアイコンとしても世界中のサッカーファンを魅了しました。

特に頭部中央の髪の毛をモヒカン気味に立たせた「ベッカムヘアー」も日本で流行りました。

1999年にはイギリスのガールズグループ、スパイスガールズのヴィクトリア・ベッカム(旧姓アダムス)と結婚したことも話題になりました。

サミー・ソーサ(野球)

ドミニカのスラッガー、サミー・ソーサが大活躍したことで、1998年はメジャーリーグにとって盛り上がった年となりました。

特に、ソーサとカージナルスのスター、マーク・マグワイアによる、ロジャー・マリスの持つシングルシーズン本塁打記録争いはファンの語り草となっています。

この年のソーサは66本のホームランを打ちマリスの1シーズン61本塁打の記録は破りますが、マーク・マグワイアは70本のホームランを放ち、ホームラン王はマグワイアに譲る形となります。

それでも、ソーサは同年のスポーツ・イラストレイテッド誌の「スポーツマン・オブ・ザ・イヤー」に選出され人気と実力の高さを証明しました。

ソーサは、野球人生の中でオールスター出場7回、ナショナルリーグMVP受賞、600本以上のホームランなど、殿堂入りの経歴を残して2008年に現役を終えました。

マイク・タイソン(プロボクサー)

ボクシング史上最強のボクサーのひとりと目されるマイク・タイソン。1986年に20歳でWBC世界ヘビー級タイトルマッチでトレバー・バービックを破り、史上最年少のヘビー級チャンピオンになり一躍時の人になりました。

鉄のような強さからアイアン・マイクと呼ばれ、1987年にはヘビー級史上初となる3冠統一世界王者となりました。

リング上での強さは疑いようのないものでしたが、1985年にトレーナーのカス・ダマトを亡くし、ドン・キングのプロモートを受けるようになってからは徐々にモラルを失い、私生活も乱れていきます。

1990年2月11日には日本の東京ドームでジェームス・ダグラスと対戦するも初黒星、1996年のイベンダー・ホリフィールドとのWBAヘビー級タイトル防衛戦で敗戦、翌年のホリフィールドとのダイレクトリマッチでは相手の耳を嚙みちぎって失格負け。

80年代後半から90年代半ばまでは無類の強さを見せつけたタイソンですが、90年代後半はプライベートの問題によって失速していったイメージが強いです。

アンドレ・アガシ(テニス)

アンドレ・アガシは沢山のファンを魅了したテニスプレイヤーでした。

ラフなファッションセンス、パワフルなプレースタイルで人気を集めるアガシは、さながらコート上のロックスターのようでした。

90年代のテニス界ではピート・サンプラスがより輝かしいキャリアを積んでいましたが、アガシは子供たちの間で同じくらい影響力を持っていました。

若い時はどうしても派手プレースタイルの選手を応援したくなります。アガシはその派手なスタイルで世界中の子供たちのハートを掴んでいました。

ナイキは、そのセンスにほれ込みスポンサー契約を結び、アガシのシグネチャーシューズまで販売しました。バンドのレッド・ホット・チリ・ペッパーズと共演したナイキのコマーシャルも大きな話題を呼びました。

シャキール・オニール(バスケットボール)

シャック(Shaq)のニックネームで有名なシャキール・オニールは、90年代はNBAの屈指のスタープレイヤーでした。

大男が揃っているNBAでも、シャックの身長216cm、体重147kgの体格は規格外でした。

NBAの中でも「デカさ」と「強さ」を体現した選手で、ゴールを壊したことも1回では済みません。足のサイズに至っては41cmオーバーで、現役時代のシャックの足元はReebokが支えました。

オーランド・マジックやNBAレイカーズなどのチームで活躍し、19年のキャリアの中でリーグ優勝が4回、オリンピックへの出場も果たしているNBAのレジェンドです。

ロベルト・バッジョ(サッカー)

ロベルト・バッジョも1990年代に活躍したサッカー選手で、「イタリアの至宝」とも呼ばれファンタジスタの第一人者としても有名です。

セリエAでは通算205ゴールを決め、キャリア通算では318ゴールを決めています。世界中のサッカー選手が夢見る舞台・ワールドカップへは3度の出場経験を持ち、不動のセカンドストライカーとしてファンからの支持を集めたサッカー界のレジェンド。

2004年に引退した後は、世界の貧困や飢餓撲滅のための慈善活動に取り組んでいます。

ロナウド(サッカー)

本名ロナウド・ルイス・ナサリオ・デ・リマことロナウドも90年代に活躍したサッカー選手です。

90年代後半は、FCバルセロナへ移籍し大活躍、インテルミラノ、そしてレアル・マドリードと順調にキャリアを積み上げ、2002年開催の日韓ワールドカップでは得点王を奪取。

決勝でドイツを破り、ブラジルが優勝するために大きく貢献しました。

当時のニックネームは、イル・フェノーメノ(超常現象)」で、ワールドカップには4度出場しています。褐色の肌と白い歯が特徴のレジェンドストライカーです。

マルチナ・ヒンギス(テニス)

マルチナ・ヒンギスがプロデビューしたのは1994年で、彼女が14歳の時。「早熟の天才」と呼ばれ16歳3か月の時点で全豪オープンを初優勝、16歳6か月で世界ランキング1位になりました。

テニス史上最年少で女子シングルズの頂点を極めたヒンギスは、2017年の引退までにグランドスラム大会でシングルス5勝、ダブルス12勝をあげています。

シングルズのみならず、ダブルスでも世界ランキング1位に上り詰めた数少ないテニスプレイヤーでした。

マイケル・ジョーダン(バスケットボール)

NBAのシカゴ・ブルズやワシントン・ウィザーズで活躍した米プロバスケ界のレジェンド的存在だったマイケル・ジョーダン(米国)。

ジャンプの滞空時間の長さから「エアー」の愛称で呼ばれ、バスケットボールの神様ともうたわれた名選手はNBAで15シーズン活躍。1990年代にブルズを6度の優勝に導き、5度のシーズンMVP、6度のNBAファイナルMVP受賞。

バスケットの神様とも言われるマイケル・ジョーダンはNBAではレジェンド級の選手でした。

ノースカロライナ大学ですでに名前が知られており、1984年のNBAドラフトに全体3位でシカゴ・ブルズに入団後は、1993年まで現役を続けました。

ジャンプの滞空時間が長いことから「エアー」のニックネームで呼ばれ、ナイキから発売されたバスケットシューズ、ジョーダンシリーズは日本でも大流行。日本でのNBAブームの火付け役になりました。

マイケル・ジョーダンの活躍は日本でもNBAブームを起こし、ベッカムヘアーを真似た人も多かったことでしょう。

まとめ

1990年代のスポーツ界は、新しい才能の出現に誰しもが心躍らせた時代でした。

その才能の萌芽は2000年代以降に受け継がれています。