【総合格闘技】PRIDEで活躍した懐かしのファイター10選!【MMA】

【総合格闘技】PRIDEで活躍した懐かしのファイター10選!【MMA】

1990年代の格闘技ブームの火付け役となったのは立ち技格闘技の最強を決める「K-1」と、パンチ、キック、投げや関節技など何でもありを競技化した総合格闘技「PRIDE」が代表的な存在でしょう。

1993年から総合格闘技自体は競技として生まれてはいましたがマイナージャンルの域は出ていませんでした。

1997年に産声をあげた「PRIDE」は強くて魅力的なファイターを輩出しメジャーな総合格闘技プロモーションとして大人気となっていきます。

今回は、そんな懐かしの総合格闘技「PRIDE」で活躍したファイターを紹介します。

エメリヤーエンコ・ヒョードル

エメリヤーエンコ・ヒョードル

(出典:Rizin Fighting

「ロシアンラストエンペラー」「氷の皇帝」「60億分の1の男」など数々の異名を持ち、PRIDEで無敗を誇った最強のファイターがエメリヤーエンコ・ヒョードル選手です。

ヒョードル選手がPRIDEに参戦したのはPRIDE.25からなので初期の選手ではないものの、その圧倒的な強さとキャラクターでPRIDEを代表するファイターの一人として今でも世界中の格闘家からリスペクトされています。

PRIDEの中では、アントニオ・ホドリゴ・ノゲイラとの3回の死闘(3戦2勝1ノーコンテスト)を制し、ミルコ・クロコップ選手、マーク・ハント選手からヘビー級の王座を守ってきました。

昔から格闘技を見続けているファンにとってはPRIDE最強であり、史上最高の選手の1人がヒョードル選手なのです。

アントニオ・ホドリゴ・ノゲイラ

「柔術マジシャン」や「千の技を持つ男」といったニックネームで御馴染みなのは、ブラジル出身の柔術ファイター・アントニオ・ホドリゴ・ノゲイラ選手。

ノゲイラ選手はヘビー級でありながら柔術の技術を駆使して数々の強敵を破ってきたファイター。

初期にはマーク・コールマン選手とのタイトルマッチを制してPRIDE ヘビー級チャンピオンになっています。

相手の身体にパズルのように組み付き、最後はサブミッションで劇的に勝利する姿にファンは大興奮したものです。K-1からPRIDEに参戦して猛威を奮っていたミルコ・クロコップ選手との戦いでは劣勢になりながらも最後に腕ひしぎ逆十字固めで逆転勝ちをおさめた試合は今でも語り草となっています。

ミルコ・クロコップ

ミルコ・クロコップ

(出典:PR TIME

K-1で活躍してPRIDEに参戦してきたクロアチア出身の格闘家ミルコ・クロコップ選手は「ターミネーター」「プロレスハンター」といったニックネームで日本のファンに愛されていました。

元々はキックボクシングの選手でありK-1を中心に活躍、特に左のハイキックに定評のある選手でした。

K-1とプロレスラーの対抗戦で勝利をおさめたことで総合格闘技にも本格的に取り組み、満を持してPRIDEに乗り込んできたのです。

初参戦から3連続KO勝利を記録し迎えた当時の王者アントニオ・ホドリゴ・ノゲイラ選手とのタイトルマッチでは終始優勢に試合を進めるも最後に逆転負け。

まるでPRIDE対K-1の対抗戦のような雰囲気に試合を見ていた全員のテンションは最高潮。テレビ中継でゲスト解説だったタレントの小池栄子さんが大興奮して絶叫していたのをよく覚えています。

K-1でもPRIDEでも活躍した珍しいファイターの1人であり、キックボクサーが総合格闘技で戦うための戦法を作り上げた偉大な格闘家です。

マーク・コールマン

アメリカの総合格闘技「UFC」でもチャンピオンになったことがあり、PRIDEでは初代ヘビー級の王者でもあったマーク・コールマン選手。

「アルティメットハンマー」のニックネーム通りアマレス仕込みのタックルで相手を倒してからのパンチ連打が得意技の選手でした。

PRIDE初期には圧倒的なパワーとレスリング技術でたくさんのファイターに勝利をおさめていました。

アントニオ・ホドリゴ・ノゲイラ選手やエメリヤーエンコ・ヒョードル選手などが台頭してきてからは影が薄くなりましたが、勝った時に感情を爆発させた喜び方がファンに愛されていたファイターでした。

マーク・ケアー

マーク・コールマン選手と同様にアメリカの「UFC」で活躍した後にPRIDEへ参戦。

アマレス仕込みのタックルとパワーで「霊長類ヒト科最強の男」というとんでもない異名を持ちます。

しかし、当時の試合を見るとあながちヒト科最強も間違ってないかのような圧倒的なフィジカルが目を見張った選手でした。

藤田和之選手に負けて以降は勢いが失速してしまいましたが、PRIDE初期は負けるイメージができない位に強かったのです。

 

藤田和之

藤田和之

(出典:DREAM

2022年10月1日になくなってしまった国民的英雄で元プロレスラーのアントニオ猪木さん。

その猪木さんの最後の弟子にあたり「猪木イズム最後の継承者」と呼ばれ、現役プロレスラーでありながらPRIDEに出場してきた藤田和之さん。

当時は国内大手のプロレス団体「新日本プロレス」を退団したばかりで、格闘技ファンもプロレスファンも動向を見守っていました。

PRIDEに参戦しながらも、プロレスラーとしてもプロレスの試合を継続している姿はあまりにも衝撃的でした。

PRIDE最強の男・エメリヤーエンコ・ヒョードル選手との試合ではあわやという場面を作り出しながら惜しくも敗退。

現在もプロレスラーとして活躍を続けており、そのタフさには感服するばかりですね。

ヴァンダレイ・シウバ

「PRIDEミドル級絶対王者」と呼ばれ、ミドル級で連勝を続けていたのがブラジル出身のヴァンダレイ・シウバ選手。

「戦慄の膝小僧」と呼ばれるほどに膝蹴りと突進力を活かした打撃が得意技でした。

シウバ選手を有名にしたのは何といっても3度に渡る桜庭和志選手との死闘でしょう。

それ以外にもUFCから来たクイントン・ランペイジ・ジャクソン選手との激闘は総合格闘技の歴史に残るほどの激闘でした。

PRIDE後半では自分よりも体重の重いヘビー級の選手との対戦も増えたことで負けたりもしませんでしたが、誰と試合をしても激しい戦いを見せてくれるシウバ選手は日本人の格闘技ファンから非常に愛される存在でした。

桜庭和志

そして最後に紹介するのは「IQレスラー」こと桜庭選手。

桜庭選手は言わずと知れたMMAファイターのレジェンドでありプロレスラー。

PRIDEの始まったきっかけは、元々はプロレスラーであった高田延彦さんと400戦無敗と謳われたグレイシー柔術最強のヒクソン・グレイシー選手の対戦でした。

そのため初期のPRIDEの主軸になっていたのはプロレスラー対グレイシー柔術の対決。

ほとんどのプロレスラーがグレイシー柔術に敗北していく中で、高田延彦さんの弟子にあたる桜庭選手が強豪外国人選手やグレイシー柔術の選手を撃破していく展開は日本中の格闘技ファンやプロレスファンの心を揺さぶりました。

その代表的な試合はホイス・グレイシーとの90分を超える戦いとなり、宿敵グレイシー柔術に勝利したのは今でも伝説となっています。

総合格闘技の黎明期に大活躍したファイターであり、現在の活躍する格闘家にも大きな影響を与えた桜庭選手は日本だけでなく、世界的に見てもレジェンドファイターなのです。

グレイシー柔術との戦い以降は自分よりも大きい選手や強豪との戦いで敗戦が続きましたが、桜庭選手の成し遂げた偉業はこれからも色あせることはありません。

まとめ

今回は、1990年代の格闘技ブームの火付け役となったPRIDEのファイターを振り返ってみました。

PRIDEには海外からも様々な格闘家が参戦していて、未知の強豪が現われたときのワクワク感がたまりませんでした。

現在活躍する格闘家にも影響を与えていたPRIDE、あの当時を思い出して見返してみるのも面白いかもしれませんね。