1980年代から90年代の移り変わりは音楽シーンにおいても重要な転換期でした。昭和が終わったのが1989年、年号が平成に移行したのもほぼ同時期でした。
転換期としての大きな要因は邦楽における歌謡曲が終わり、JPOPが誕生したこと、レコードからCDに音楽の記録媒体が変わっていったこと、そしてライブ、コンサート、イベントパフォーマンスが重要性を獲得していったことが挙げられます。
今回は、そんな90年代における男性ソロシンガーアーティストの名曲をご紹介します。
陣内泰三 空よ(1991年)
陣内 大蔵(じんのうち たいぞう)さんは、山口県出身のシンガーソングライター。
親の代からクリスチャンで、楽器に触れたのも礼拝堂のアップライトピアノが最初でした。幼少期に教会の聖歌隊に加入してヴァイオリンを担当、中学校からはトロンボーン、ドラムを経験しました。
高校生になる頃にはハードロックにハマり、自分でも音楽家への道を目指すようになります。
そんな陣内さんは1988年にソロミュージシャンとしてデビュー、香港で楽曲のカバーがされたことにより、最初は日本よりも香港での人気が高かった異色のシンガーソングライターです。
「空よ」は陣内さんの10枚目のシングルであり、「僕は何かを失いそうだ」との両A面シングルとしてリリースされました。日本テレビ系ドラマ「刑事貴族2」の後期エンディングテーマとのタイアップもあり、12万枚を売り上げました。
歌い上げるスタイルの歌唱と、空を見上げて今までの人生を振り返る内容の歌詞は胸にグッとこみ上げるものがあります。
サビも一回聞くと覚えやすい耳馴染みのよい歌メロで、大ヒットまではいかないまでもスマッシュヒットした、実に90年代らしい名曲です。
楠瀬誠志郎 – ほっとけないよ(1991年)
楠瀬さんは1986年にデビューしたシンガーソングライターで、現在までに数々のシングルとアルバムを発表しています。現在では音楽活動と並行してアレンジャー、発声表現研究家といった活動もおこない、レッスンスタジオの運営もしています。
「ほっとけないよ」は楠瀬誠志郎さんによる10枚目のシングルで、1991年11月にリリースされました。
TBS系ドラマの「ADブギ」の主題歌として起用されたこともあり、当時ドラマを見ていた人は覚えているのではないでしょうか。
「ADブギ」は当時人気だった俳優の加勢大周さんが主演を務め、主要キャストとして的場浩司さん、ダウンタウンの浜田雅功さんが共演していました。TBSのスタジオや本社が実際にそのまま使われていることでも大きな話題を呼びました。
元々「ほっとけないよ」は浜田さんが歌う予定だったので、楠瀬さんの他の楽曲よりもキーが高く作られているといった逸話のある楽曲です。
中西圭三 – Woman(1992年)
中西圭三さんは1991年にデビューしたシンガーソングライターです。
自身での活動以外にも楽曲提供や有名アーティストのレコーディングやライブの参加など多岐に渡って活躍し、1992年にはその年の紅白歌合戦にも出ている実力派ミュージシャンです。
過去に楽曲を提供したアーティストも、池田聡さん、Wink、大橋純子さん、久宝留理子さん、郷ひろみさん、ゴスペラーズさん、ブラックビスケッツさんと枚挙にいとまがありません。
楽曲提供した中では、JR東日本「JR Ski Ski」のCMソングに起用されたZOOの「Choo Choo TRAIN」がダントツで105万枚の売り上げを記録しています。
「Choo Choo TRAIN」は後にEXILEにもカバーされ再ヒットするなど息の長いヒット曲となりました。
そんな中西さんの代表曲といえば、自身が歌唱した「Woman」が有名です。ジュエリーメーカー三貴の『カメリアダイアモンド』とのタイアップCMにも起用されたことから、売上枚数42万枚を超える大ヒットとなりました。
R&Bやソウルなどブラックミュージックの影響を感じさせながら、歌声はキャッチーで親しみやすいのが特徴でした。
山崎まさよし – One more time,One more chance(1997年)
山崎まさよしさんも90年代にデビューして活躍したシンガーソングライターです。
1991年にレコード会社のオーディションと間違えて俳優オーディションに参加。自身の楽曲を披露して最終審査にまで進んでしまいます。
最終審査では審査員特別賞に終わりましたが、審査員として参加していたキティレコードの音楽プロデューサーに見出される形でミュージシャンとしてプロデビューを果たします。
そんな俳優とも近い位置にいた山崎さんは1997年に「月とキャベツ」で俳優&主演デビューも果たします。
「One more time,One more chance」はその映画の主題歌であり、大事にしていた人や日々を失った人が日常を断ち切れないといった歌詞が切ない名曲です。
意外と曲名で覚えていない人が多く、曲を聴くと「あー、この曲!」と言われることでも有名です。「いつでも捜しているよ どっかに君の姿を~」という歌詞を耳にするだけで涙腺が緩んでしまう人もいるのではないでしょうか。
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織田哲郎 – いつまでも変わらぬ愛を(1992年)
織田哲郎さんは日本を代表するシンガーソングライターであり、作曲家、音楽プロデューサーです。
90年代に一大勢力となったビーイング系楽曲やアーティストを輩出した株式会社ビーイングの創立にも関わり、ちびまる子ちゃんの主題歌「おどるポンポコリン」で有名なBBクイーンズのオリジナルメンバーでもあります。
どちらかというとスタジオミュージシャンやアーティストの仕掛人的なイメージのある織田さんですが、自身が歌った楽曲で一番有名なのが「いつまでも変わらぬ愛を」です。
大塚製薬「ポカリスエット」のCMソングとして起用されると、徐々にオリコンチャートを駆け上り1位を獲得。ブリティッシュロックやアメリカンフォークに精通している織田さんならではの楽曲に、渋く歌い上げる名曲です。
CMの影響もあり爽やかなラブソングという印象の強い曲ですが、29歳で死んでしまったお兄さんの事を歌った曲でもあります。
福山雅治 – Heart(1998年)
90年代を代表する俳優でもあり、ミュージシャンでもある福山雅治さんですが、音楽活動は1996年、1997年に活動休止していました。
1992年のドラマ『愛はどうだ』、1993年のフジテレビ系月9ドラマ『ひとつ屋根の下』へのドラマ出演と楽曲起用をきっかけに当時は福山さんの人気は凄まじいものがあり、他の芸能活動をセーブするための活動休止でありました。
「Heart」は音楽活動休止明けの98年に発表されたシングルで、音源のリリースは実に2年半ぶりでした。福山さんが出演したドラマ「めぐり逢い」の主題歌にも起用され、アコースティックギターの爽やかなサウンドが特徴的な一曲です。
奥田民生 – イージュー★ライダー(1996年)
80年代はユニコーンとして精力的に活動していた奥田民生さん。1993年にユニコーンを解散した後はソロミュージシャンや音楽プロデューサーとして活躍していきます。
「イージュー★ライダー」は、1996年にリリースされた奥田さんの6枚目のシングルです。
「イージュー(E10)」は音階やコードのEが3に相当することから業界で「30」を意味しており、奥田さんが30歳になったことと、映画の「イージーライダー」を引っかけた曲のタイトルになっています。
日産車とのCMタイアップ曲であったこともありヒットを記録。2010年にはテレビ番組「東野・岡村の旅猿 プライベートでごめんなさい…」のテーマソングに起用されるなど長い間ユーザーに愛されている楽曲です。
当時、奥田さんはPUFFYのプロデュースも並行しておこなっており、活動の幅を広げたことと三十路に突入した自身に色々と思うことがあったと思わせる歌詞ですね。
自分が行きたいと思った場所なら、どこにでも行ける。そんな気持ちにさせてくれる名曲です。
玉置浩二 – 田園(1996年)
1980年代にロックバンド「安全地帯」のフロントマンとして活躍していた玉置浩二さんですが、バンドは売れて大きくなっていくことで次第に自分でコントロールできなくなります。
他のメンバーとの不和や事務所の独立などもあり、バンドの活動は1993年に休止。その後、玉置さんはソロミュージシャンとしての活動をスタートさせます。
「田園」は1996年にリリースされた玉置さんの11枚目のシングルで、オリコンでは最高2位を記録したシングルです。1位は獲れなかったもののチャート自体には30回も登場し、結果的に92.5万枚を売り上げました。
この当時は玉置さんが精神的に疲弊していた時期で、精神病院に入院したり、病院を3日で脱走して生まれ育った北海道に戻って療養していた時の気持ちが歌われています。
「生きていくんだ それでいいんだ」と全ての生きる人を全肯定してくれる名曲ですね。
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まとめ
今回は90年代の男性ソロアーティストの名曲を紹介しました。
1990年代はレコードからCDに移行したこともあり、音楽業界だけでなく日本中がCDバブルでした。
実際のバブル期は終わっていましたが、JPOPシーンはバブル期でした。ミリオンヒットが当たり前の時代でしたが、100万枚売れていなくても名曲はたくさんある時代でした。
今回紹介した以外にも90年代の名曲はまだまだあるので、ぜひご自身でも探してみてくださいね。
最近だと「ジデン」という方が、90年代テイストの曲を制作しています。参考までにどうぞ